京都鉄瓶 雲色堂の真贋
京都鉄瓶の発祥はもともと手取釜といった大き目で釜に弦と注ぎ口をつけたものが茶の湯の侘茶として使われていましたが、江戸時代中期に初代四方龍文が富小路四条下ルにて住み手取釜より小さい現在の大きさの鉄瓶を創案しました。江戸期がおわり明治初期には海外の博覧会でも工芸の粋を凝らした鉄瓶を作り京都では一大鉄瓶ブームが広まり様々な鉄瓶を企画製造する商人が富小路界隈に店を開きます。
雲色堂もそのうちの一つになります。
現在は雲色堂は13代が茶の湯に使う鉄瓶のみならず明治期に一世風靡した京象嵌の鉄瓶も復興し京都の工芸の伝統の継承に努めています。
また海外において雲色堂の高く評価され認知されていますが、そのため粗悪な偽物も多数流通しております。
オークションサイトにおいては模造品にも劣る京都の美意識の�欠片もない鉄瓶が取引されている現状は悲しい限りです
京都鉄瓶 雲色堂の略歴
- 初代
- 和田信濃大掾藤原国次 京都三条釜座に住し江戸期釜の店衆取締等、頭として活躍し天下一釜師の稱号を有し、釜、釣鐘等を鋳造す。
- 二代
- 和田信濃大掾藤原国次(五兵衞)寛永十三年初代の協力の許に智恩院大釣鐘を鋳造以来寛永代より 専ら、釣鐘等大物師として傑作を造り後年入道、元禄二年縦五位を賜る
- 六代 七代 八代
- 大徳寺、本能寺、妙心寺 黄壁山萬福寺、建仁寺、 清水寺奥の院、黒谷金戒光明寺 釈迦銅像、百萬辺智恩寺等又、現存する鐘百数十点
- 十代
- 和田美之助 雲色堂 京下京高辻に住し両宮金寿堂に学び茶の湯釜、鉄瓶を鋳造す 以後、鉄瓶制作時 雲色堂と名乗る
- 十一代
- 和田美之助 雲色堂 先代の技術を引き継ぎ古作釜等研究し数多くの作品を製作す
- 十二代
- 和田美之助 雲色堂歴代の偉業を受け継ぎこの道一筋に専念秘法を守りさらに研究改良を重ね製作に精進す。毎年各所にて展示会を行う
- 十三代
- 和田美之助 雲色堂 平成二年より十二代に師事し、平成二十一年八月十三代を襲名す。代々の名に恥じぬよう京釜の伝統を受け続き邁往精進す。また古代鋳鐵技術の再現にも 協力している。京鉄瓶の復興にも努め、一時途絶えた象嵌鉄瓶を再現し明治期の最高級鉄瓶の研究 制作を行う
雲色堂と西村(平安)松寿堂の関係
村松寿堂は平安松寿堂の銘で富小路松原下ルにて1885年に創業し 銅器を中心に鉄瓶も企画製造しておりました。弊社創業者の時代より 雲色堂とは関係があり日本梅泉 亀文堂とも取引しておりました。
現在 雲色堂は13代とともに西村松寿堂にて商標登録し海外(中国 台湾)においても併せて登録しております
雲色堂の13代とは鉄瓶の製造企画および明治期の工芸の復興でともにデザインや技術の試行錯誤を行い、また平安松寿堂の鉄瓶の伝統技術も含め相互に切磋琢磨し、また新たな伝統技術の継承を目標に製造していきます
- 1885年
- 初代 西村勝が京都 寺町の地にて創業。
- 1981年
- 会社組織に変更。有限会社 西村松寿堂で登記。
- 2005年
- 創業100年を超える店舗として「京の老舗」として京都府より認定。
- 2009年
- 京都デザイン賞において 弊社製作の銅製足元行灯が入賞。
- 2015年
- 京都デザイン賞において弊社製作の銀覆鉄瓶が入賞。
- 2015年
- 京都デザイン賞において弊社製作の銀覆鉄瓶が入賞。
- 現在に至る